国内で明治・大正期に花開いた煉瓦文化は、大正12年に起きた「関東大震災」を境に徐々にその姿を消してきました。
この喜多方でも昭和30年代に煉瓦蔵が建設されたのを最後に煉瓦建築は途絶えてしまい、「花嫁学校」と称された岩月小学校校舎も、老朽化のため昭和40年代に取り壊されてしまいます。
しかしながら、煉瓦の表面を釉薬が覆い、喜多方式木骨煉瓦造りという独特な進化を遂げた喜多方の煉瓦蔵をはじめとする喜多方の煉瓦たちは、夏は38度、冬は氷点下18度ともなる厳しい気候の中でも悠然と息づいています。
春は花々が一気に咲き乱れ、夏は抜けるような青空が広がり、秋は錦秋の山々、冬は白銀の風景が広がり、まさに究極の四季がこの喜多方の気候風土と言えるでしょう。
それらの景色を携えて喜多方の煉瓦たちは、洋風と和風の意匠をまとい、季節それぞれの顔をのぞかせ、喜多方の風景を彩り続けます。