Since1890

明治23年(1890年)に開窯し、瓦の生産も順調になった頃、近隣の加納鉱山が再開発され、精錬炉用煉瓦の需要期を迎えます。岩越鉄道(現JR磐越西線)の建設も始まり、一気に煉瓦の生産量がふえました。

大正年間に2代目樋口喜一が10段の登り窯(現存)を増築し、この頃がこの窯の最盛期だったようです。管内でもこの窯を含め4つの窯が操業していたと言います。
しかし、昭和に入り煉瓦・瓦の需要が減り、大量生産の時代を向かえた昭和中期には、最後まで残った「樋口窯業」も採算性の問題から昭和45年に廃業し、明治23年より約70年間絶えず燃え続けた窯の火を落とすこととなりました。

その後、昭和58年より一時復活稼働し、立教大学のチャペル修復工事用の煉瓦を焼成するなどしましたが、大雪で粘土成形場が倒壊し、再度登り窯も火を落として静態保存とされてきました。

平成19年に経済産業省より近代化産業遺産として認定を受けたのをきっかけにして、三津谷の登り窯を【活きた産業遺産】としての動態保存を図るべく、市民有志が立ち上がります。
しかし、平成23年には「東日本大震災」とそれに続く「群発地震」の被害を受けてしまいます。
窯の修復にも自分たちで取り組み、25年春の試験焼成にも成功し、登り窯の修復技術と焼成技術の伝承に目星をつけることができました。
平成25年夏からは一般公開ができるまでとなっています。(※修復は1~6房と煙道部。7~10房及び煙突部は未修復)

大型で10連房からなる煉瓦と瓦を焼成可能な「三津谷の登り窯」は、現在では日本で唯一、稼動できるものといわれ、窯場の維持管理を含め煉瓦の復活生産を行うことで、今も窯の火を絶やすことなく技術の伝承に取り組んでいます。